妻の実家 2010

中国の旧正月に妻の実家に里帰り。

最初は三泊四日の予定だったんだけど、帰りの汽車のチケットが事前に入手できなかったことと、何より妻が地元を楽しんでいるようなので、予定を延期して六泊七日となった。

2 月 13 日

23 時ぐらいの汽車に乗る。

夜行列車で、寝ているうちに着く、という触れ込みで、夜行列車は初めてなのでよい機会かなと思ってちょっとわくわく。

2 月 14 日

夜行列車は寝台が縦に3つ並んでいる感じで、値段は一番下が一番高く、一番上が一番安い。はしごで上り下りしなきゃならないからというのもあるけど、一番下は腰掛けられるんだけど、真ん中と上はあぐらの姿勢が取れないぐらい高さが足りない。

僕が買ったチケットは、一番下のものなんだけど、着くなりその場所を占拠している方々が。

なんでも「おじいちゃんが心臓が悪くて場所を変えて欲しい」とか。ついでに「おばあちゃんも年なので場所を変えて欲しい」という。

場所を変えることでなんかトラブルが起こるのがイヤだったので一度は断ったんだけど、妻が良いというので二人して中段へ移動。

朝になるとみんな起きだすので、僕も眠れずに起床。

予定では 8 時間で到着するはずなんだけど、結局 13 時間かかった。なんというルーズな運行なんでしょう。

ちょっとしたトラブルがあって、彼女の地元の友達に車で駅に迎えに来てもらい、高速道路を 200km で突っ走り、3 時ぐらいに実家に到着。

実家では義父が地元の特産料理を作って待ってくれていた。山羊の骨付き肉なんだけど、最高にうまい。

食事の後、義母の四番目の妹宅に顔を出す。

いろいろ聞かれて大変だったけどなんとかクリア。

子供たちと一緒に爆竹や花火を楽しんだ。

そのまま叔母さん宅に泊まる事になった。

2 月 15 日

朝食をいただいた後、汽車のチケットを買いに駅へ。

寝台ではない汽車のチケットならあるんだけど、ハッキリ言って 13 時間もリクライニングはおろかクッションすらない座席に座り続けるなんて無理なので、飛行機で帰ろうと提案。飛行機代はいつもの 2 倍ぐらいするんだけど、致し方ない。

帰りの足で、義母の親友宅へお邪魔する。

お土産は牛乳とパンケーキ。お宅へ訪問する際にはお土産は必須。中国の習慣。手渡す際に「いやいや、結構です」「どうぞどうぞ」「そうですか、それじゃ」というやり取りも必須。これも中国の習慣。

1 時間ぐらい滞在して、実家に帰るとちょうど夕方。

この日は義父が餃子を作ってくれた。正月に餃子を食べるのも中国の習慣。

2 月 16 日

この日は祖母の誕生日なので、誕生会に参加する。

誕生会の後、実家に戻り飛行機のチケットの手配。明日の正午ぐらいに届けに来てくれるという。チケットのお金が足りないので ATM を探しに繁華街へ。

お金を下ろし繁華街でウィンドウショッピングをした後、実家に帰り、義父の手料理をいただく。

このあたりから、僕の皿洗いが定着した。

2 月 17 日

妻の同窓会があるということで、僕も参加。もう何でもアリになってきた。

中学の同窓会で 20 人ぐらい来ていた。どんなところでも層なんだけど、好奇心旺盛な人が話しかけてくるので、話し相手には困らない。「北海道行ったことあるアルか?」「いや、まだない」「オレは行ったことあるアルよ。とてもいいところだから是非行ったほうがいいアルね。」「なにが良かった?」「(中国と違って)人が少ないのがいいアル!」なんて。中国人に北海道の良さを説かれるとは思わなかった。

2 月 18 日

義母の墓参り。

ちょっと離れた場所にあるので、バスでは行けず、タクシーで。墓参りが終わってもタクシー拾えないから、タクシーには待っててもらう。

その後、彼女の親友と食事をすることに。もちろん僕も参加。

食事は僕が奢るはずだったのに、いつの間にか奢られてしまった。いつ会計したんだ。彼らが北京に来たときには今度こそ僕が奢らなければ。

2 月 19 日

今日は昼に義母の二番目の妹と、その娘さんと娘さんの旦那さんと会う。

夜には義母の五番目の妹と食事をする。

帰りの飛行機は翌日 0 時 55 分発なので、22 時 30 分ぐらいにおいとまする。

2 月 20 日

飛行機は予定通りフライト。1 時間で北京に到着。飛行機はやっぱいいわ、高いけど。

タクシーで空港から自宅に直付け。深夜 4 時頃到着。



振り返ると、毎日誰かに会ってたなぁ。
こういう親戚付き合いも大切。もうちょっと中国語が堪能だと、もっと楽なんだろうな。

中国語の勉強しなきゃ。時間がない。ああ。