プログラマ 35 歳定年説

プログラマ 35 歳定年説について。

定年というのは、二つの意味に取れる。

ひとつは「もう役に立たないからやめたほうがいいんじゃあないの」というニュアンスと、もうひとつは「そろそろ別のことをやったほうがいいいんじゃあないの」というニュアンス。何で別のことをやったほうがいいかというと、要するに 40 歳になったときに「もう役に立たないからやめたほうがいいんじゃあないの」ってのが繰り返されるからだ。

結局この定年説が言いたいのは、プログラマはある程度年をとると、役に立たなくなるってことだ。

じゃあ何が役に立たないのか。

たぶん、多くの人に言えることとして、新しい技術の習得欲がなくなることなんだろうな。

若いうちは何も知らないから何でも吸収しようと躍起になる時期が誰にでもあるはずだ。もしなかったんだとしたら、あなたはプログラマには向いていないから、可及的速やかにプログラマ以外でごはんが食べられるように考えるべきだ。

35 歳ぐらいになると、特定の技術に長けて、その技術に依存した形で仕事を進めているはずだ。C も C++Java C#VB.NETPerlPythonRubyPHPJavaScriptFlashSilverlight も全部得意で、WindowsLinuxMac もすべて熟知していて、カーネルやドライバから RDBMS やウェブアプリまで何でも大丈夫、という人は絶対にいない。

僕は何かの本か誰かのブログかどこかの記事かを読んで、年にひとつプログラミング言語をマスターする、というのを去年からはじめて、去年は Haskell を勉強した。別に Heskell の仕事をしたいわけでもないし、Haskell でしか作れない何かを作ろうというわけではなく、新しい言語のパラダイムを習得したいだけだ。とても興味深い言語だったし、勉強していた時期は楽しかったけど、マスターできてないどころか日常使わないのでほとんど忘れてしまってる。まぁ、忘れてしまったのは仕方がないけど、エッセンスは覚えているので、再習得には時間がかからないはずだ。

今年は Erlang を勉強したい。

と思いつつ、半年過ぎてしまっている。

若い頃と比べて今はプログラミングの習得に割ける時間が全然ない。20 代後半は、土日だけで 20H プログラミングしていた。今は月 20H の時間が取れない。

さらによくないことに、仕事でプログラムを作ることがここ数年なくなってしまった。年々プログラミングスキルが堕ちていくのを実感する。「コナン・ザ・グレート」のシュワルツェネッガーは、ムキムキのマッチョが売りだった。この映画は彼の筋肉を披露するための映画といってもよい。その後、彼はターミネーターを境に売れっ子になってしまい、トレーニングの暇がなくなってしまい、後半はとても裸など見せられるはずもなく、要するに彼もひとつの「定年」があったわけだ。

仕事でプログラムを作らなくなった時点で、僕はサンデープログラマというカテゴリのプログラマになり、そのサンデーすらプログラムできていないので、肩書きにあえてプログラマを用いるなら、元プログラマということになる。要するにプログラマではない。

だけどまだ定年ではない。やめたわけではないから。絶対に復活する。