外国語を学ぶということ
理由あって北京に来て早3ヶ月あまり、最近はだんだん中国語でのコミュニケーションも取れるようになってきて、このまま1年も住んでいれば、それなりに話せるようになるんじゃないかという錯覚を最近覚えるようになったりならなかったり。
大学のときに第二外国語として中国語を履修していたので、中国語を聞いたり話したりするのは実はまるっきり初めてではない。大学では1年間、単位のために履修していたので、実は覚えていたフレーズは:
A:你是老师吗?
B:我是不是老师。
ぐらい。でも頭の片隅に残っているだけでもまだマシか。あれほど勉強し倒した微生物学は完全にどっかに行ってしまったし。でも、大学受験時に勉強した高校生物は結構覚えていたりして、難しかったり複雑だったりするほうから忘れていくんだなぁ、などとしみじみ。
中国語でもうひとつ覚えているのは、四声。これは忘れがたい。毎授業、「マー、マアァ、マァ〜ァ、マァ」と死ぬほど言わされたからだ。
中国語は「読むは容易、書くは可能、話すは難易、聞くは不能」というのは僕が今作った言葉。中国語を学習している多くの人が共感してくれるんじゃないかと思う。読むが容易、というのは、音読するという意味じゃなく、内容を理解するという意味。
大学を卒業して12年、中国語に触れる機会はこれまでまったくなかったけど、中国語は難しいということだけはずっと思っていた。だけど北京に来て、中国語は難しいということを思い知らされた。文法はそれほど難しくない。日本語の方が活用があって逆に難しいと思う。漢字も日本人ということで、覚えるのは有利だ*1。だけど、初学者の最大の障壁は「発音・発声」で、僕もその最大の壁に直面して真正面から立ち向かっているところだ。
僕が学習したことがある、日本語、英語、ドイツ語、中国語の中では、中国語は発音が群を抜いて難しい。ドイツ語はスペルが難しい。日本語は活用が難しい。英語はもしかすると簡単な言語の部類に入るのかも知れない。
1ヶ月前は、飯屋に入ってもメニューを指差すだけだったけど、最近は間違っていてもいいから指差しながらしゃべるようにしている。服を買おうと店に入ると店員がウザイぐらい寄ってきて声をかけてくるのは日本と同じなんだけど、最近はこうした店員とがっぷり四つで話をしている。もちろん僕の中国語の勉強のためだ。若い子と話せるし、中国語の勉強にもなるし、相手は話しかけてきた手前逃げられないし、いいことずくめだ。
語学を習得する上でもっとも必要な要素を僕は知っている。
“不怕慢、只怕站”
「継続は力なり」だ。北京に来る前までは、時間があれば英語を勉強していた。そのせいあってかどうかは定かではないけど、北京に来る直前に1度だけ英語の夢を見た。残念ながら何をしゃべったのかは覚えてないけど、僕は夢の中で間違いなく英語をしゃべった。とてもゆっくりではあるけど5年勉強した成果だ。
英語の夢、というのはもしかするとターニングポイントだったのかもしれない。そう思うと現在中国語を勉強しているのは少し残念だけど、語学を学ぶ上でもっとも必要な要素を既に知っているということは大きく、やっぱり僕は1年後には一定レベルの中国語をマスターしているはずだ、と思ってならない。
我一定能掌握汉语!